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前提の除去

哲学は、前提を除去することによって徐々に前進してゆく。
懐疑主義はその最たる方法である。

私たちが無思考で受け入れている前提・公理を検討しなおし、削除してゆく。
不確定なものを取り除いてゆき、真である可能性が高いものへと近づいてゆく。

だが。
懐疑主義の結論なんて、ピュロンやセクストスの時代に既に出ており、前進してない。
デカルトも前進には至らなかった。
今の哲学は真理がないということを示そうとしている感じらしい。もちろん自己言及のパラドックスに陥る。

それでだ。
VIPも捨てたもんじゃない、こんなレスを見つけた。

63: 忍法帖【Lv=3,xxxP】(1+0:15) 2013/05/17 16:26:39 ID:YMHIh1/X0
なんで神が「存在する」か「存在しない」の二択で語ってるんだよ
それじゃ排中律の成り立つ論理体系の下でしか成り立たないじゃねーか
この世界はその体系だけじゃねーだろ
排中律が成り立たない論理体系や成り立つか分からない論理体系、
その他の体系でも示さなきゃ真に一般的普遍的とは言えないだろ

っつーかそもそも論理体系が無限にあったら神の存在性は証明不能
あぁ証明が定義されていない論理体系はどうしよう
そもそも定義の存在しない体系は・・・

結論:かみさまたすけて


つまりは、
「普遍の真理とは存在しうるあらゆる公理系のもとで真であるもののことであり、前提の除去はその一つの手段でしかない」
ということ。
全ての公理系の検討が有限の立場より不可能なので(ここでは便宜上不可能という言葉を使うが云々)、公理を取っ払えばいいじゃんってのが前提の除去。

で、その真理が何かが「分からない」と。
ではこれを答えにすればいいのでは?と思うかもしれないが、それは「自分が分からないってことを分かってる」ことであるし、証明もされていないし、他人は分かってるかもしれない。
分からないってのは個人的な感想でしかない。

完全にネガティブ入ってる。
おわり。
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縦令真理を教えてくれる神がいようとも、それの語ったところは僕にとっては真理ではないのです。

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