スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

クオリア・スイッチ/脱構築

前の続き。

前回は
>僕はこれに全面同意はできないけど(理由は色々ある。今度述べるかな)、
とか言ってどや顔してましたけど、今では完全同意です。
これ書いたときは、「クオリアの議論は、クオリアが『ある』という前提で議論している」から、そこに「クオリアなんてないからwwwwwww」みたいに言っても「いや、そういう前提で考えてるだけだから。」って返される。
って考えてたんですよ。

でもでもでもでもwwwwwwwwwwwwwwwそんなの関係ねえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
じゃなくて。
脱構築ですよ脱構築。デコンストラクション。
静止した構造と見做されていたものを、動的な、絶えず変化する構造として捉え直す。
これって、クオリアの議論に時間の概念を持ち込むことに似てませんかね。
そもそもクオリアがないなら議論の必要がない、ただのお遊びだし、物理主義・唯物論はクオリアの否定を目指してるんだったね。
クオリアがあるかどうかは分からないけど、こういう思考実験によって「あってもなくても関係ない」ことが示せるわけだ。

そうそう。脱構築の話だけど、本質的に理解したのは、生物学のことを考えていたとき。
テレビで、北極の氷が溶けてホッキョクグマが~みたいなことやってた時に、生態系保護に対しては大きく3つの立場があると思った。

①現在の生態系を何が何でも保持する。
②人間も自然の一部とみなし、環境破壊も自然活動とみなす。
③人間の活動が一切自然界に影響を及ぼさないようにする、徹底的不干渉。

世間一般で言う「生態系保護」って①の立場だよね。
で、これは地球の全体的・周期的な変化が起こった時に破綻する。破綻しないためには地球をすべて人口の何かで覆うかでもしないと。

②については、なんで世界がこれに反対するのかって言うと、それだと自分たちが生き残れるか分からないから。種の保存への本能的力。
生態系は、何かが欠けたら何が起こるか予想がつかないところがあるから、ただ人間の存続のみを考えても失敗する可能性が高い。
環境を保護しようっていうのは、自然の人間に対する優位を問いてるわけだ。でも②だって、人間を特別視しない、我々は自然の一部だとする自然>人間の立場をとってる。ここは面白い対立。

で、③ですよ③。
正直無理ですよね。呼吸をすることだって自然界への干渉。宇宙に出て行くくらいしか選択肢ない。本末転倒。
これは理想中の理想だけど、無政府主義と同じように実現不可能。ここでは便宜上不可能という言葉を使いますが、僕は懐疑主義者なので、可能性は無きにしもあらずではある。
だけど、ホッキョクグマが氷が解けることに適応せずに死んでいくのはある意味当然のことであるし、そこに干渉していくのもどうかなという気もする。
予備校の物理の先生も今日同じ話してた。

ホッキョクグマが、氷が解けたせいで必死に泳いでる姿を見ると、「なんかかわいそう」って気持ちになる。それが積極的干渉・保護になっていくんだろうね。
動物を見てかわいそうと思う本能(環境依存かも。本能か環境かの議論は幼児を実験台にしないといけないからクローン技術が発達しないとされないだろうね)は、人類が昔から狼に肉を分け与えて、今のイヌとヒトの関係を作ってきたみたいなところから来ているんだろう。でもそれが地球規模になってしまったせいで、線引が難しくなってる。
前々から思ってたんだけど、人間はこの世界規模のセカイにまだ適応してない。うん。
鎖国しろって割と真面目に思ってます。

そんでまあ、話戻すけど、
①は自然界を静止した構造として見ている。
②、③は自然界を動的な構造として見ている。
これが脱構築だ!!!!!

今日は珍しく形而下学の、実学的な話でした。おわり。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

わふー

Author:わふー
縦令真理を教えてくれる神がいようとも、それの語ったところは僕にとっては真理ではないのです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。