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クオリア、コギト

クオリアってのは意識的体験、って訳されるけど単に「意識」って読んでいいと思う。
で、このクオリアってのがちょっと難儀。
哲学的ゾンビってのがあって、「クオリアを持たない人間」のこと。意識がない。だが、普通に生活していて、外からはクオリアがあるかどうか判別はできない。
変な話、これを読んでる人からすれば書いてる自分は哲学的ゾンビであるかもしれない。僕から見れば読んでる人が哲学的ゾンビであることもありうる。
とまあ、つまりはクオリアの問題ってのは自分を対象に研究はできるがその拡張、一般化、つまり他人に当てはめることはできない。
クオリアを「魂」って言うと分かりやすいのかな。だからいくら物理的な研究をしても解決できない。脳が全て既知の物質でできている証明はされていない。我々は魂を否定することはできない。

で、本題に入るけど、2chの哲学板で、こんなのを見つけた。


『クオリア・スイッチ』
外部のリモコンでチャーマーズのクオリアとやらをオン・オフできるスイッチを作る
チャーマーズが哲学的ゾンビを想像可能と言うのならば
このようなクオリアスイッチも想像可能だわな


さてさて

リモコンでチャーマーズのクオリアスイッチをこっそりオン・オフしたら
チャーマーズはそのオン・オフの瞬間を報告したり、現在がどちらであるのかを識別できるのか?

(1)識別不可能なのならばクオリアとやらはオッカムの剃刀で削除するべき不要な概念である
(2)識別可能ならば哲学的ゾンビもクオリアの無さとやらを識別できることになり、行動が人間とは異なってしまい、「人間と行動の区別がつかない哲学的ゾンビ」という仮定と矛盾する
自覚してしまったら最後、あらゆる手段を使って自覚したかどうかを調べられてしまう

チャーマーズは(1)クオリアの放棄(2)哲学的ゾンビの放棄
のどちらかしか選択することは出来ない

故にクオリアなる仮説は偽である



チャーマーズってのは哲学的ゾンビの概念を生み出した人ね。

僕はこれに全面同意はできないけど(理由は色々ある。今度述べるかな)、これで面白いアイデアを頂いた。
基本的に心の哲学とか形而上学の問題って、『存在』に関することだと『時間』の概念が忘れられるんだよね。でも、このクオリアスイッチは時間を忘れてない。
世界五分前仮説ってあるじゃん。あの着想を元にすると、また意識が(我が)あるとすると、その自我の認識、コギトが確固たるものであるのは”イマ”の一瞬だけ。自我現在誕生仮説とでもいうかな。
まあ、つまりだ。こういう問題に時間を持ち込むと、ややこしくなる。

根源的な話をしちゃうと、クオリアの概念があやふやというか、だからクオリアってのあんまり信じてない。あるかどうかわからん。それについてはコギトエルゴスムの議論かな。
でも心の哲学の証明法、思考実験はすごい好き。よくこんなん思いつくなって感じ。

ここまで書いてなんだけど、クオリアの議論に時間の概念を持ち込めばいいってもんでもなくて、クオリアの議論はあえて時間を無視してる。ややこしくなるからと、あとは時間については前提条件として同意されてる。形而上学と形而下学の関係みたいなもん。

この流れで「前提の削除」の話でもするか。今度。
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縦令真理を教えてくれる神がいようとも、それの語ったところは僕にとっては真理ではないのです。

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