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ちょっと補足

イシキがあるとないの線引はどこで行うのか・・・
勿論日常的文脈ではなんとなーーーーく、人間だけがイシキを持っていて、動物やコンピューターは持っていない
それで成立する。
哲学的文脈ではどうだろう。
イシキってのがただの外界への反応なら、コンピューターはイシキを持つし、全ての生物はイシキを持ち、ややもすれば万物はイシキを持つ・・・
そういうことなんだよね。
ここで機能主義を理解しました。今さっき理解した。

砂山のパラドックスと同じで、線引は感覚的ななんとなくでしか成立しえない。
(何を言いたかったのか忘れました。もう言ってあるかもだけど。)
(多分きっちりかっちり定義した時点で日常的文脈の言葉とは乖離する。これかな)
(ヒトは暑いと感じるけど、温度計内臓のパソコンも暑いって感じてブザー鳴らすよね とか思ったんだった)
(結局思い出せませんでした ごめんなさい)

あと、哲学的文脈は日常的文脈の影響を必ず受けるし、従属的なものだろうな、って感じました
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縦令真理を教えてくれる神がいようとも、それの語ったところは僕にとっては真理ではないのです。

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