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うなぎ論法でピュロン主義

最近、哲学ワードを並べるだけのツイートをたまにします。
あとでブログ書くときのために、メモ程度で考えたことの概略を忘れないように。

前の記事で、

懐疑主義者ってさ。
「真理はない」って言っちゃうと、じゃあそれが真理じゃね?って突っ込まれるから、「真理はあるかどうか分からない」って言うじゃん。
でも「じゃあその分からないってのが真理じゃん?」って突っ込まれるから、「真理はあるかどうか分からないかもしれない」って言う。
でも・・・・・・

と無限にやり取りを続けなければ自分の立場を正確に示すことはできない。


って言ったじゃん。
昨日知ったんだけど、

『うなぎ論法』 wikipediaのサンジャヤ・ベーラッティプッタのページより引用
霊魂の存在・来世の存在・善悪の行為の報いの存在など形而上学的な重要問題に対して曖昧な回答をし、判断を中止する態度をとったといわれる。たとえば、「来世があるのか」という問いに対し、「あるとは考えない、来世があるとも、それとは異なるとも、そうではないとも、また、そうではないのではないとも考えない」と、とらえがたい議論をしたという。このような論法を「うなぎ論法」ということがある。

『ピュロン主義』 wikipediaの懐疑主義のページより引用
同様に、ピュロン主義者は、「万物は虚偽である」とか「何事も真理ではない」とは言わずに、「私にとっては今のところ何事も把握不可能であるように思われる」とか「私は今のところこのことを肯定もしないし否定もしない」という慎重な言い回しを用いる。


な、なんやこれわ~~~~~~~~~~~wwwwwwwwwwwwww
両方同じ事言っとるwwwwwwうけるwwwwwwwwwwwwwwwwww俺も同じ事言ってるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwドチャクソうけるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

そんで思ったんですけど、この2つって両方すごい昔じゃないですか。紀元前か紀元後付近。
自分の行き着いた結論も、とうの昔に発見されていて、近代では論じられた形跡すらない。
つまーーーーーーーーーーーーり。
人類は一度、真理の探求を諦めたッッッ!!!!!
だがしかしッ!人類の知識愛は止まらないッッ!!
そこでッ!人類は真理ではなく、真理である可能性の高いものを探求し始めたのだッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!

諦めの姿勢である。
だから、近代では自我の存在を仮定してみたり、直感が真であると仮定してみたりして、「真理っぽいもの」を探してる。

現代の哲学に、僕の居場所はなかった。
だから脱構築とかが「破壊的な活動である」って言われて衰退していったんだよなあ。
そもそもみんなこの「諦め」を自覚してんの?
「真理には辿りつけないっぽい」ってことを知ったら、それまでの探求活動が無意味だったってなるから、それから無意識のうちに視線を逸らしてるのかな?

自分の哲学が「破壊」だから、過去の自分を否定することなんて常で、もう慣れっこというか、いやまあそのせいで精神に負担がとかはあるだろうけど、自分はそれを受け入れてる。

いやはや、困ったものだ。



追記

ピュロン主義は、「心の平静」(アタラクシア)に行き着いた。
サンジャヤから「うなぎ論法」を受け継ぎ、「無記」に発展させたブッダも、同様に「苦からの開放」を求めてのことだった。

生まれてきた時代間違えたかな
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縦令真理を教えてくれる神がいようとも、それの語ったところは僕にとっては真理ではないのです。

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