スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不確定なものを排除するのはその不確定なものを否定するというわけではない

不確定なものを排除しただけなのについ否定的に走っちゃうことあるよね。
無神論とか、ニヒリズムとか、不可知論とか、独我論とか。挙げていくとキリがない。
ここは意識的に直す必要があるね、すぐドグマに陥る。

何かについて疑問に思うっていうのは、自分がこれまでに形成してきた常識に反するものが現れて、それを自分の常識のなかに押し込もうとして生じる軋轢。
自分というものを、まるで湯気のようなものに変えれば、何も疑問に思わなくなる。すべてをありのまま受け入れる。

コギトエルゴスムって、批判はされつくしてるけど、否定はされきってないよね。
それに対して「否定の証明なんてしたらその否定したのは誰なんだよ」っていうシャンカラ的な「主体を否定するお前は何者ぞ!」になっちゃうなーと思っちゃったんだけど、本当にそうなのだろうか。
まあ分からない。「論理がないことを論じれば論理があるという証明になる」っていう古代の懐疑主義と独断主義論争のディレンマ論法に対する回避策「論じなければいい」で同じくどうとでもなるからいいけど。

前に
>分からないってのは個人的な感想でしかない。
って言った。これを検討。
分からないとはなんだ?他人は明確な根拠ありで真理にたどり着いているかもしれない。
もしかして真理を知らないのは自分だけなのでは?

そもそも「分かる」ってなんだ。
真理という宇宙的なものを個人的な「分かる」に押し込めていいのか?
他人は「世界が自分の目に見える形で実存し、自分も同様に実存している」って完全に信じ切ってると思うけど、その人にとってはそれが真理だよね。
クオリア同様、真理も私秘的なもの?
つまり、懐疑主義者だけが真理に到達してない?
真理の再定義が必要だね。
真理は十人十色かも。

>懐疑主義者は断言できない。かもしれない。かもしれない。かもしれない。・・・・・・・・・・

>死ね
>懐疑主義者は喋れねーじゃねえかクソ
じゃあつまり、「かもしれない。」の部分にlimをつけて∞に飛ばしたらそれは正確な言及になるのか?
で、結論自体に方法的懐疑かけると、結局それも分からない。
結論を懐疑するのはやばいね。全部否定できるんじゃね。
というか論理性が介在してるからそれ疑えばいい。

懐疑の3段階。
1.自分の認識を疑う。
2.論理性を疑う。
3.直感を疑う。

結局何も残らない。

トートロジーって真理なの?
いや、普通に考えれば真理だろうけど、実は真理じゃないんじゃね?
懐疑で全てを否定しま~~~~~すwwwwwwwwww

思考により真理を生み出すけど、その思考が湯気みたいなもんだからどうしようもない。

504 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/10/03(月) 01:35:46.60 ID:Jzr6ENdl0
>>497
過去はな
でも今こうしてディスプレイ見ながらカタカタキーボード打ってる「今」は確かに存在している
0.000000......1でも過ぎたら過去だ
俺は「今」確かに存在している

511 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/10/03(月) 01:38:43.96 ID:yznqzsAm0>>504
その認識はすでに過去のものだよ
「今」確かに存在しているって認識は後追いでしかない
人間は絶対に現在を捉えることが出来ない

っていうのがレヴィナスだっけ

時間論については>>504の立場だったけど、>>511見て思い直す。認識の根源を問い直すってのはいいことだな。
確かに「今考えてるぞ!!」って言ってる間にも時間は過ぎてくね。はあ。

ああ 「人生は無価値だから死のう」ってのは「人生は自殺する価値がある」って言ってることだから自己矛盾に陥ってるのか これまんまデリダの脱構築じゃん
価値ってのはマイナス方向の価値ね この文脈だと

ツイートからコピペ。哲学者を自分なりのやり方で理解するってのは重要だと思うよ。というか予め哲学者についての知識を持っといて(理解しなくてもいい)、あとで思索の中でその哲学者と同じ考え方をしてること多い。

「無記」で検索して、一番上のページを見る。
これって、懐疑主義や現象学の「エポケー」(判断停止・判断保留)じゃん。インド哲学にも現象学に似た考え方をしてたらしいシャンカラって人がいて、その人は「仮面の仏教徒」って呼ばれたように仏教の影響を受けてたらしい。
あと無記はウィトゲンシュタインの「語りえぬものには、沈黙しなければならない。」とも一致する。
シッダールタやべえwwwwwwwwww

最近考えたことをまとめました。
何も前進してないけど、「これでよい」(Es ist gut.)
カント嫌いだけどね。
懐疑主義もポストモダンも破壊的で積極的な価値を何も生み出してない。
ここらへん、自分と同じ。
自分の哲学活動を一言で表せば「破壊」です。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

わふー

Author:わふー
縦令真理を教えてくれる神がいようとも、それの語ったところは僕にとっては真理ではないのです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。